図書館で借りた250冊目の絵本
子どもが2歳になったときから、図書館に通うようになりました。
その時から、図書館で借りて息子と一緒に読んだ絵本の記録として、『絵本ノート』をつけるようになりました。
絵本ノートと言っても、内容は本当に簡単で
・題名
・★5つのお気に入り度
これだけです。
そのノートに書いている絵本の数が今月で、250冊目になりました。
来月で息子は4歳になるので、1年で120〜130冊読んでいる感じになります。
一緒に読んだこの絵本の数が多いのか少ないのかは、わからないし、
別に多くても少なくてもどちらでもいいことだと思っています。
ただ、絵本が私にとって息子にとって、大切なものを結び合わせる一つの窓であることは確かです。
さて、250冊目の絵本は、特に感動するような絵本ではありません。
皆さんも聞いたことがあると思います。
じゅげむ じゅげむ ごこうの・・・ってあの寿限無です。
『寿限無 寿限無』
息子が先月読んでいた絵本の中で、寿限無を落語で話しているシーンが出てきました。それを読んで、寿限無に興味をもった息子。
なので、ネットで探して息子にもわかりそうな寿限無の絵本を予約して借りました。
絵は、工藤ノリコさんの独特の力の抜けた感じの絵です。
寿限無という名前の赤ちゃんが出てきます。
寿限無寿限無という言葉になんとなく合ったような人物や場面にその男の子が出かけていく感じの展開です。
最後は、名前が長すぎて、友達が寿限無の名前を言い終わる前にハプニング自体も終わってしまうというオチになっています。
せっかくなので、ここで寿限無の名前を全部書きだしておきますね。
「寿限無寿限無 五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝るところに住むとこと、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、長久命の長助」
うーん、長い。
何度か読み聞かせしていて、スラスラ読めるようになってけれど、まだ覚えられません。
子どもの方が、早く覚えそう。
絵本を読むことーこの世界へのまなざしを共にすること
以前に一度紹介したことのある『すべてきみに宛てた手紙』の中に、こんなことが書かれていました。
絵本という小さな本には、どんな本にもない魅力があります。その魅力は、絵本という「本のあり方」にあります。
絵本という本のあり方。
絵本は、どんな読み方をしてもいい本です。
自分一人で読むこともできるし、誰かに読んでもらうことも、誰かに読んであげることもできる。
一人で心に蔵っておくこともできるし、
声を出して読んでも、黙ってじーっと絵を眺めるだけでもいい。
そんな絵本のもつ自由さと懐の深さが好きです。
そんな絵本のもつ世界の中を子どもが自由に遊び回ってくれたらいいなぁと思っています。
絵本という小さな本は、そのなかにもっとも個人的な体験を包むことのできる、あるいは包んでしまう本です、その意味で、絵本は、まずなによりも贈り物としての本とい性質をもっています。
絵本によって、何を贈るか。
もしも、絵本をじぶんへ贈るなら、それはじぶんに「もう一つの時間」を贈ることです。
もしも、絵本をだれかへ贈るのなら、それはそのだれかへ、この世界へのまなざしを共にしたいという思いを贈ることです。
絵本を子どもと読む時間。
それは、私が息子と一緒に何かを眺め、味わっている時間。
誰かと同じものを一緒にまなざすこと。
同じ世界を見ている人がいるという体験。
その体験は、かけがえのない体験だと思うのです。
少し、大げさかもしれないけれど、本当にそう思います。
絵本は、私と子どもを結びあわせてくれるものです。
子どもと絵本を読むことの意味の一つは、私にとって、この世界を共にまなざすという体験を子どもに贈りたいということかもしれません。
▼絵本について思うことを書いています。
↓よろしければ、クリックして応援いただけるとうれしいです。